B級コラム編集部

身近な関心ごとから社会問題まで。興味のあることにツラツラとひねくれた意見を書いています。

イジメがなくならない、構造的理由

先ほど、「ネットいじめ」のニュースを目にしました。
LINEのグループから外されたり、限られたコミュニティの中での誹謗中傷に耐えられなくなり、子供達は追い込まれて行く。
今までは学校にいる間しか、そうした状態が続かなかったが、ネットが普及することで、そうした状況から24時間逃れられなくなったと書かれています。
大抵の記事は「だから子供たちのネット利用を制限すべき」と続くのですが、なんでそういう結論になるのでしょう?

別に限られたコミュニティで誹謗中傷されるという構造は学校もネット空間も同じはず。
24時間限られた空間に縛られるのが嫌ならば、LINE見なきゃいいだけじゃないですか。
見てないと仲間外れにされるじゃないか!って反論があるかもしれませんが、誹謗中傷を受けている時点で仲間外れですよね?
それならば無理して付き合う必要はないように思います。

イジメが起きる主だった要素って
1.平素的な空間である
ことと、
2.その空間の大多数の空気に馴染めない
ことの二つがそろって起こるような気がします。
イジメ問題っていうと、いつも2の方ばかりが注目される(しかも大抵は加害者を敵にした言説が前提となって)。
原因云々の話ってもちろん解決策の一つではありますが、要素が複雑で多分単純には解決できないと思うのです。
しかも日本だと因果論で議論すべき所(イジメのキッカケは何処にあるのか)に、感情論(イジメはどっちが悪いのか)が混ざってくる。
そりゃ解決策なんて見つかりません。

だったら、もう一方の要素に注目するのも手段としてはアリだと思うんです。
つまりそのコミュニティから離脱する。

LINEだったら見なきゃいいんです。
学校がツライなら行かなきゃいいんです。
別に学校なんてツライ思いしてまで行くところじゃないですもん(笑)
それでも無理していじめられている子が学校に行こうとするのは、無意識に親やセンセーとかの周囲の大人が「学校に行くべき」っていう価値観を押し付けてんだと思います。
そこまでして行くべきところですか?
例えば学校でいじめられてツライ子がいたら、ひと月くらい休んで日本一周したり、社会人バンド参加したり、いろいろすればいい。
オンラインゲームとかでもいいと思うんです。
とにかく重要なのは、学校よりももっと大きくて楽しいコミュニティがある事を知る事。
ここで重要なのは、くだらない道徳観を挟まない事。
うちの子が学校行けないからボランティア団体探してあげたとか最悪です(笑)
そんなもん強制された時点で学校となんらかわりません。
別にコミュニティならなんでもいいじゃないですか?
そこにへんな「清らかさ」は入れない方がいいです。
話を戻します。
多分、一度外の世界を知ったら、イジメてくるやつの事なんて「こいつちっせぇ」ってなると思います。
つまり、そんな奴眼中になくなるんです。
そういう方法も、イジメを克服する手段としてはアリなんじゃないかと、、、

で、最終的な結論。
イジメはなくなるか?
ムリでしょうね。
だって僕が言った方法は、そもそも「学校には行くべき」っていう、学校教育が掲げて来た大前提に疑問を投げる行為だから。
それを学校で働く人間がいうのは不可能でしょう。
だから構造的にもイジメはなくならない、と思うわけです。
そして以前かいた通り、因果論でもイジメの解決は難しい。
結局、既成の常識感(あるいはシステム)の上に立った人間がイジメ論をいくら論じた所で、解決するわけがないのではないかと思っています。
だって、イジメの本質ってある種そのシステムがもつ、システムエラー的な側面があるんだもの。。。
とりあえず、そういう議論を抜きにして、ネットを子供たちから取り上げるのはどうなんだろう。
そんな風に思っています。そ