TOEICが高いのに英語が話せない理由
昨日ニュースを見ていて出会った記事です。
TOEIC高得点社員の英語力ギャップ なぜ?人事担当者もビックリ
逆にTOEIC取ってるからって英語が話せるなんて思っているのはなぜ?って思うのは僕だけでしょうか、、、
こうした記事を読んでいて、人事担当者と今の学生の間に、資格に対する考え方の違いがあるように感じました。
たぶん人事担当者は資格のことを「その人の能力を証明ないし保証するもの」と思っているのだと思います。
「たとえば海外で活躍する人材になりたいから、そのステップとしてTOEICを取得する」とか「将来経理として技術を持っておくことが自分のキャリア形成に役立つから簿記を勉強した」とか。
あくまで目標が前提としてあり、それを達成する通過点として資格を取るっていうのが、今の人事の世代が資格に対して持っているイメージなんじゃないでしょうか。
これに対して僕たち若者は「効率よく勉強して手に入れるもの」というような感じで資格のことを認識しているような気がします。
ちょうど学校の単位みたいなもんです。
このように考える若者にとって資格とは、目標を実現するための手段ではありません。
「資格をとること」これ自体が目標なのです。
先のTOEICの場合でも、「海外活躍したい」とか「英語が話したい」とかいう動機ではなく(もちろんそういう人もいるとは思いますが)、「点を取ること」事態が目的になっているんです。
そりゃ「点を取ること」をゴールにしているんだから、使いこなせるはずがありません。
弁護士の資格や医師免許とかだったら、なりたい目標があってその通過点に資格があるわけですから話は全然変わってきますが、ほかのほとんどの資格の場合、若者が持つ認識なんてTOEICと同じようなカンジだと思います。
同じことが就職活動や留学についても言えます。
多くの場合「就職すること」が目的であり、「留学すること」が目的になっている、、、
もちろん志望動機だとか留学目的なんかを面接で聞かれたりするから一応の理由は用意していますが、本質的な部分において、ほとんどが留学や就職事態が目的化しています。
なぜそういった認識が広まっているのか。
僕はその最大の理由が、「市場化」にあると思ってます。
資格取得でも留学でも就活でも、そこに市場原理が導入されることで、それ自体が目的になってしまう。
もともとは情報収集まで含めてすべて自分で行わなければならなかったプロセスにさまざまな仲介者が絡んでくることで、どんどん工程が簡略化されます。
工程が簡単になるほど、挑戦するハードルは低くなる。
さらにそこに料金が発生すると無意識のうちに「お金を払って購入するもの」という気持ちが生まれてくる。
(大学を通していく場合の留学もこの限りです。だって「大学のサービス」を使ってるんですもん)
かなり雑な言い方ではありますが、少なからずあたっている部分はあるんじゃないかなって思います。
なんでもかんでも市場原理に組み込むのも考え物です.......