B級コラム編集部

身近な関心ごとから社会問題まで。興味のあることにツラツラとひねくれた意見を書いています。

たった100点

「何でたかだか100点しかないのだろう?」
塾で教えてていつも思うことです。


テストってすごく窮屈な制度だと思うんです。
理由は「100点以上がない」から。

だって(仮にテストで高得点とれる人が優れているという狭い枠組みの中ですけど)100点取れる実力がある人以上は、あと全員同じ評価なんですよ?
例えばテストで本来1000点位取れる実力の人もギリギリ100点だった人も、どっちも評価は同じ。
これむっちゃ不平等やと思うんです。


評価が決まった物ほど攻略しやすい物はありません。
実は100点っていうゴール(限界値)が決まっている学校のテストとか、出てくる問題の傾向がある程度情報として手に入れる事ができて対策もできる入試とか資格って、凄く簡単な物な様に思います。

で、そんな風に感じた上で、そんな物が人を図る尺度としてメジャーになっている日本社会ってどうなんだろうとか思う今日この頃です。


特に学校。
例えば中学校の成績とかって全く勉強しないのに90点とか取る人よりも、むっちゃ努力して70点取る人の方が評価が高いじゃないですか?
あれなんなんだろうなって思います。


だって、ノー勉で90点取れる人って、宿題なんてしなくても十分ついていけるって判断したから(宿題に当てるより他の事した方が有意義って判断して時間を使う)から勉強しない訳ですよね。
別に授業聞かなくて宿題しなくたって内容理解できるなら、そんなもの必要ないじゃないですか(笑)
にもかかわらず多くの場合、不毛な宿題を強要される。
あれって何の意味があるんですかね?
協調性とかいう人もいますけど、できる奴に変な足枷はめるのは協調性でもなんでもないように思います。


茂木健一郎さんが、現在の学校教育そのものが「秀才」を生み出すシステムになっているって言っていましたが、まさにその通りだと思います。
(僕のいう秀才っていうのんは、決められた枠組みの中ではむちゃくちゃ能力発揮する人のこと)
これって終戦以降、変わらずにきたんですよね。

当時はそれでよかったんだと思います。
ロボット技術やIT技術が今ほど発達しておらず、また当時の先進国に追いつく必要があったから。
でも今ってそういう単純な労働(知的労働も含めて)は殆どロボットやコンピュータがやってしまう時代なんですよね。
そして何より追いつけ追い越せの立場から世界を引っ張っていく立場になっている。
そうすると必要な力って、決められた枠や規則の中で勝負する力ではなく、ルールやレールを敷けたり、革命を起こせる力だったりするわけです。
だって現存のルールや枠組みって、今トップを走る人が生み出すものだから。


日本も本当はとっくに(1990年代前半くらいから)枠組みの中で戦うことから、枠を作る側に移動しなくちゃいけなかったんだと思います。
それが先進国の責務ですから。
にもかかわらずそうしてこなかった。
失われた10年とか20年とか言われてますが、一番の原因って実はここにあるような気がします。



たとえば電気自動車が広がれば、日本が強みを持っていたエンジンの技術なんか役に立たなくなるのに未だにそれにしがみついたり。
世界で勝負できない、むちゃくちゃスペックが高いけど値段も高いケータイを開発する方向に動いたり。
地デジ対応テレビっていう、世界に全く売り出せない方向でテレビが発展していったり。

ガラパゴス化って、日本では独自の発展を遂げたというポジティブな文脈でよく使われますが、本当は世界に全く対応していないっていう、非常にネガティブな側面も兼ね備えている現象なように思います。

もちろんそれがプラスに働いている分野もあるでしょう。
たとえばアニメ産業や漫画文化。
確かアニメの一秒当たりのスライド数とかって、あれ日本独自なんですよね。
だから海外のアニメとはちがった、親しみのある動きが作られる。
それから主人公や特に敵方まで、非常に繊細な心情描写をしている。
一コマで受け手にいろいろ連想させたりするのが日本のアニメやマンガの特徴。
「古池や蛙飛び込む水の音」などの俳句を始め、行間を読む文化が独自の発展を遂げた成功例だと思います。


結局、これからの日本が世界基準で勝負しようとしたら、アニメとかを代表とする、無形物で勝負する方向にシフトしないといけないような気がします。
だって機械や自動車、鉄鋼や繊維なんて、新興国の方が早く安く生産できるんだもの(笑)
未だに「でも日本は技術に強みがあるから」っていう人いますが、そんなのグローバル化でどんどん流出するじだいでしょ、、、
そうでなくとも新興国の技術は上がっている。
今ってアイデアや技術は占有するものではなく、共有するものになっているように思います。


独自の進化っていうのを、世界の枠組みで考えて伸ばして行く。
そしてアイデアや技術そのものでなく、世界中にちらばるアイデアや技術を結びつける事を自身の強みにしていく。
そんな人材を育てることが、今の日本教育には必要なんじゃないかって思います。
そのためには、戦後から続く「秀才」を量産する教育制度をどうにかしないといけないんじゃないかなぁ、、、

「たかが100点」
まずはそう思える子供を育ててあげることが、教育に携わる人間として、必要な意識だと思います。

っと、趣味程度のバイト塾講師が二日酔いの頭で考えてみたりみなかったり...